| 市街地徒歩めぐり東コース |
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三原城跡を起点に約2時間コース。
三原を散策してみてください。
三原城跡→熊野神社→極楽寺→松寿寺→観音寺→
地蔵堂→浄楽寺→専福寺→善教寺→本陣跡→
成就寺→正法寺→妙正寺→大島稲荷→厳島神社 |
| 市街地徒歩めぐり西コース |
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三原城跡を起点に約2時間コース。
三原を散策してみてください。
三原城跡→順勝寺→法常寺→三原八幡宮→釜山寺→
万福寺→正明寺→浄念寺→大善寺→寿徳寺→
香積寺→宗光寺→明真寺 |
| 佛通寺(県立自然公園) |
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佛通寺は、応永4(1397)年、沼田高山城主の小早川春平が、名僧愚中周及禅師を迎えて開いた日本屈指の参禅道場として知られる臨済宗佛通寺派の大本山です。 |
| 極楽寺(県重要文化財) |
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日照山無量寿院極楽寺は、嘉禎3年(1237年)本郷町船木字川西の極楽谷へ、浄土宗第3祖良忠上人布教の際、阿弥陀仏を彫刻され開山されました。
それから約350年後の三原城築城の時、糸碕神社裏糸崎谷に移築され、そして又、城下整備の一環として寛文年間(1661〜72)城主浅野家の家臣によって現在地に再度移されました。 |
| 御調八幡宮(県立自然公園) |
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備後国総鎮護御調八幡宮は、神護景雲3(769)年、臣下の身で帝位を望んだ道鏡の野心を、宇佐八幡宮の神託を得て退けた和気清麻呂公が直諌の罪により大隅国へ流されたとき、姉法均尼(和気広虫姫)は備後国に配流されこの地に流謫(るたく)の身を留め、斉戒沐浴、円鏡を御神体として、宇佐八幡大神を勧請して清麻呂の雪寃を祈願したことを創祀とするといわれています。 |
| 妙正寺 |
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三原城主浅野家の菩提寺として、延宝2年(1674)東町米田山の麓に創建されました。ところが、当時の山陽道から墓が下に見えるという理由により、わずか20年ばかりで現在の地に移されました。
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| 糸碕神社 |
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神功皇后が西征の帰途、船を寄せられた際に水を献じたという故事によって、この地を井戸崎(後に糸崎)といい、郡を水調(後に御調)と称した縁により天平元年(729年)創建されました。 |
| 宗光寺(国重要文化財) |
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1957年小早川隆景が親の毛利元就夫婦を弔うため高山城内に建てたものですが、策上の際、城下の西側を守る砦も兼ね、この地に移されました。 |
| 米山寺(小早川家菩提所) |
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仁平3年(1153)に天台宗の寺として建てられた寺院で、嘉禎元年(1235)小早川茂平が念仏堂を建立して氏寺としました。 |
| 善根寺 収蔵庫 |
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善根寺は、現在、鐘桜と収穫庫のみが残っています。収穫庫には、県下では3ヶ所しかない20数体の仏像が収まっており、大部分は藤原時代初期の作、一木造りで、県及び市の重要文化財に指定されています。
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| 松寿寺 |
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万年山松寿寺は「三原に寺は数々あれど古きが一の松寿寺」と童歌に歌われていたとおり、三原築城以前の貞治4年(1365)本町成就寺の後方に創立されましたが、浅野城主3代忠真の時、妙正寺建立に伴い寛文9年(1669)来迎寺があったこの地に移されました。 |
| 三原八幡宮 |
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永正7年(1510年)に比咩大神・応神天皇・神功皇后をまつり、西町・西野村一帯の総氏神として建てられたと伝えられておりますが、天正3年(1575年)小早川隆景によってこの地に移され、浅野時代、この南側に広がっている宮沖新開築造の際に新田が寄進されています。 |
| 久井稲生神社 |
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天慶元年(938年)創建され、伏見稲荷大社の分霊としては日本最古。 |
| 応海山棲真寺 |
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棲真寺は、鎌倉時代初期に土肥遠平(小早川)の妻が(源頼朝の娘)若くしてこの世を去ったので、追善供養のため建立したと伝えられる。 |
| 東禅寺と木造四天王立 |
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今から1300年前、僧行基が瑞気天にみなぎり、地に霊光を放つハシバミの巨木を発見し、根付いたまま幹に十一面観音菩薩を彫刻したのが東禅寺の本尊と伝えられている。 |
| 楽音寺の縁起絵巻 |
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楽音寺に伝わる「紙本著色縁起絵巻」は元は朱雀帝の勅筆であって、絵は金岡の描いたものであった。現在の縁起絵巻は江戸時代に、詞書は杉岡六太夫、絵は狩野安信が描いたものである。 |