南山資料館 (国登録有形文化財)
当初、診療所として建築されたもので、木造2階建、寄棟造桟瓦葺の洋風建築です。外観は1・2階とも整然と位置を揃えた窓が並び、中央には上部に石積風のアーチ窓を備えた玄関が付けられています。現在では、幸崎町出身で、大正から昭和にかけて活躍した日本を代表する彫金家清水南山(亀藏)の資料館として使用され、南山ゆかりの品々が展示されています。
清水南山
南山と彫金について
彫金は金属工芸の一種で、鋳金、鍛金とともに代表的な金工技法です。金属の表面に鏨(たがね)を用いて模様や文字を彫ったり透かしたり、別の金属を嵌め込むなどの加飾技法で、古くから装身具、武具、祭祀具、家具などに広く用いられてきました。
加納夏雄、海野勝珉という幕末から明治にかけ伝統的技法によって活躍した二人の教授(東京美術学校)に学んだ南山は、卓越した技術をもって大正から昭和にかけて彫金界の重鎮として活躍した人です。
技術より造形へ支店が移っていく風潮のなかで、謹厳なつ伝統的金工技術を近代日本工芸に活かした、最後の彫金家であったといわれています。
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| 唐獅子図手板 | 東海旭日文香炉 |
1934(昭和3)年に、幸崎国民学校講堂落成記念に製作された「唐獅子図手板(からじしずていた)」です。この作品は、1995(平成7)年、三原市の重要文化財に指定されました。
また、「東海旭日文香炉(とうかいきょくじつもんこうろ)」は、2005(平成17)年9月に三原市の重要文化財に指定されました。
1947(昭和22)年、当時豊田郡幸崎町立幸崎中学校の校章をデザインされました。
この3つの輪は、
- 同町には3つの小学校がありその学校から集まってくる生徒皆が力を合わせている姿。
- 知、徳、体を顕し、一人一人の可能性が無限大に拡がり、知、徳、体を兼ね備え調和の取れた人になってもらいたい。
- 赤、黄、緑はあらゆる色の基本色であり、基本を大切にとの願いである。
南山と略年譜
| 西暦 |
和年号 |
年齢 |
事項 |
| 1.師、加納夏雄との出会い | |||
| 1875 |
明治8年 |
広島県三原市(当時豊田郡)幸崎町能地(平原)に生れる。本名亀蔵。 | |
| 1891 |
明治24年 |
16歳 |
広島県特選生として東京美術学校(現:東京芸術大学)に入学。 芸術家を志す。 |
| 1896 |
明治29年 |
21歳 |
東京美術学校彫金本科卒業。 研究科に進み加納夏雄、海野勝珉について彫金古作を研究。 |
| 1899 |
明治32年 |
24歳 |
藤田文蔵について塑像を修める。 |
| 1902 |
明治35年 |
27歳 |
東京美術学校の勉強を終え、帰郷。 |
| 2.研鑽の年月 | |||
1903 |
明治36年 |
28歳 |
2月、広島県豊田郡東野村白水 藤本幸太朗五女チヨノと結婚。 4月、妻を伴い上京。自営。 |
1909 |
明治42年 |
34歳 |
香川県立工芸学校教諭となる。 |
| 3.四十歳からの挑戦 | |||
1915 |
大正4年 |
40歳 |
3月、香川県立工芸学校を辞職。 離任式後、単身四国霊場八十八ヶ所巡拝へと旅立つ。 6月、古美術研究のため大和へおもむく。 法隆寺北室院に止宿すること1年有半 |
1916 |
大正5年 |
41歳 |
夏、奈良地方古美術研究を切上げ帰郷。 安芸、妻子を伴い上京。東京で彫金自営。 |
1918 |
大正7年 |
43歳 |
大正天皇への献上の金装飾太刀の装飾彫金政策を命ぜられる。 斎戒沐浴し、渾身の力をこめて政策に打ちこむ。 |
| 4.東京美術大学教授 | |||
1919 |
大正8年 |
44歳 |
金装飾太刀完成。 同年、東京美術大学教授となる。 |
1920 |
大正9年 |
45歳 |
4月、東京美術大学金工科主任。 |
1927 |
昭和2年 |
52歳 |
10月、御大礼御剣装飾彫金政策主任に命ぜられる。(昭和天皇の佩刀) |
1934 |
昭和9年 |
59歳 |
12月、帝室技芸員となる。 |
| 5、彫金界の頂点に立つ | |||
1935 |
昭和10年 |
60歳 |
1月、日本彫金会会長となる。 6月、帝国美術院会員となる。 |
1936 |
昭和11年 |
62歳 |
6月、帝国芸術院会員となる。 |
1945 |
昭和20年 |
70歳 |
3月、東京大空襲。生家へ疎開。 7月、願いによる東京美術学校教授を免ぜられる。 |
1948 |
昭和23年 |
73歳 |
10月、日本美術博覧会(日展)審査のため上京。 審査を終えた後、病に臥す。 12月7日、東京都練馬区の自宅において逝去。 |
| 西暦 |
和年号 |
年齢 |
事項 |
清水南山生誕の地
三原駅でJR呉線に乗り、普通列車に揺られながら車窓を眺めると、瀬戸の島々が美しい。つい景色に目を奪われていると列車は三原から2つ目の安芸幸崎駅(無人駅)のホームに到着します。
駅の改札をでて約3キロ程度、緩やかな坂道を歩くと、蜜柑の木々に囲まれた史跡、「清水南山生誕の地」 があります。記念碑は、昭和45年、南山生家跡地にご遺族によって建立されました。
当時、東京藝術大学の先生方が、芸術の探求の道を貫き、伝統的彫金の技術を昭和の時代に繋いだ南山の偉業を偲び「橋」をイメージとし、生誕の地全体及び南山碑のデザインを彫刻家の中島幹雄先生、南山碑に埋め込む銅版は版画家の中林忠良先生、土蔵前の碑文は彫金家の山脇洋二・田中勇両先生が担当し完成されました。
この生誕の地と土蔵は、平成7年に市史跡に指定されました。
悠々の流れの中に
「郁夫」、お前、美校をうけてくれないか。一度だけでいいから受験してくれ。」実は、大伯父、清水南山は東京美術学校(現東京芸大)で長く彫金科の教授を務めた人なのです。そうして美術学校受験の準備をしていた私に対して、大伯父はというと少しも技術的なことは教えてくれません。技術的にうまくなっても、そんなものはすぐに行き詰ってします。
だいたい近ごろの画家は、技術ばかりうまくなって肝心の精神のほうが発達していない。
昔の美校では、絵の勉強もさることながら、哲学や文学も、みんなでわいわい話しながら勉強したものだ、といいます。そうでなければ本物は生れないという信念をもっていたようです。
平山 郁夫 日本画家・東京芸術大学学長
1998(平成10)年11月文化勲章受章
注 平山郁夫画伯著書「悠々の流れに」(佼成社刊)63頁"大伯父・清水南山とともに"より引用
参考文献
「清水南山」郷土と南山先生を語る会発行
「彫金芸術の巨匠清水南山」三原市・三原市教育委員会発行
「三原市の文化財」三原市教育委員会発行
このページは、三原市経済部観光文化課が、「郷土と南山先生を語る会」の監修のもと発行した「三原のアートを訪ねて、近代日本彫金会の巨匠 清水南山」のパンフレットをもとに作成しています。
〒729-2252 広島県三原市幸崎町能地3369
公共/JR安芸幸崎駅から徒歩10分
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